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四季おりおりの表情が美しい長岡市旧和島村。その恵まれた自然環境の中に、池浦酒造はある。車を数分走らせると、そこには日本海の素晴らしい眺望が広がっている。かつてこの地で人生を閉じた良寛和尚も、貞心尼とともにこの風景で愛でたのでは・・・。そんな旅情にふれると、ちょっと高尚な酒の飲み方をしたくなる。そういう気分にこの上なく似合う酒が、池浦酒造にはある。

この蔵元の創業は天保元年(1830年)。
代々が庄屋であったが、屋敷内の見事な日本庭園を見ると風雅を愛する心が受け継がれてきているのがわかる。中でも最も文化的な人物だったのが、先代の隆右衛門氏である。 若い頃から平等思想を重んじ、長岡の文人、野本互尊翁を尊敬、交流を深めた。
現在、この蔵元の代表で銘柄である「和楽互尊」は当初、「互尊」という名だったが、それは野本翁の命名による。「君は酒で民主主義を広めよ」と言われたそうだが、確かに酒の場では上も下もなく裸のつきあいができるのではないか。
互尊だけではゴロが悪いので和楽という語をつけたのは、中央で活躍していた文人・安岡正篤氏だ。すなわち「互尊なれば和楽に至る」となって、より崇高な思想が込められた。

「親父は商売人というより、そういう人だったから、本当にまいりました」と苦笑するのは六代目の隆氏だ。気持ちよく酔って語らってもらうためには味の良さだけを追求すればよいとし、宣伝には不熱心。例えば旧丸ラベルの互尊という書体は読みにくかったが、まったく意に介さなっかたという。
「和楽互尊」が高尚すぎて理解してもらうのに苦労した隆氏だが、やはり血は争えない。良寛終焉の地で生まれ育ち、父の影響もあってか、現代社会に欠けている良寛の心や徳風を世に広めたいと考え、「心月輪」「天上大風」の銘柄を出すに至った。いずれも良寛和尚の書がそのままラベルにも使われている。
 酒は文化という。ならば、文化を語る場にふさわしい飲み物もまた酒ということになる。そうした風雅を解する人々に、池浦酒造の酒は愛され続けている。


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